こんにちは。しろです。
最近本当に創作意欲が湧かなくて(?)文章を書けてなかったのですが、やっぱり文字を書くということが好きだな、言葉を使いたいな、と思ってリハビリがわりに1/14に2公演入ることができた「幽霊はここにいる」の感想やそれについての考えを書いてみます。
生まれてはじめて安部公房にかかわったいち女の感想です。
こちらはネタバレを多分に含んでおりますので、ご注意ください。
さらさらという音、風が窓の隙間から吹き込むようなぴゅうぴゅうとした音、雑踏のような音。
劇場に入った途端にそれが聞こえて、舞台に釘付けになりました。
円形になっているカーテンのサッシに、その半周以上はある薄布がかかっていて、それが少しだけたなびいて。
「LUNGS」のときも思ったのですが、セットさえもこちらにさまざまな提案をしてくるような、そんな舞台だと感じました。
布は光を浴びて、その後ろに立つ人の影を映す。
黒い傘を持った人々は全身黒くて、そんな人たちの中からぽつりと軍服を着た男が砂がまっすぐに落ちる中から出てきて、息を飲みました。
無表情でまっすぐ見つめる神山さん(深川)の目が怖かった。
彼は元来優しい人だからこそ、その役に憑依してしまったらどうなるかわからなくて怖い。LUNGSのときよりも「役作り」をしていくものだったからこそ感じました。
この演劇は円形の砂場の中で行われます。
いろいろ考えて、自分なりに出た答えは
①「砂」=「なくなってしまった生命」=「幽霊」
②生きるだけでもがいてしまう滑稽な人間の姿
③こんな金に塗れた思考だけで生きていく人間たちは側から見ればただのお遊びでしかない
の3通りです。
安部公房の「砂の女」を読んでいないからというのもあると思うのですが、あの砂にも意志がある気がしますし、でも舞台構造としてだけな気もして、個人的にはこうやっていろいろな可能性を提示していくしかなかったです。
わたしがこう思った理由、というか、思考回路のようなものは、
①生きる人間がこれまで死んだ人がいるからこそ成り立っているのも、死んだ人間が空から落ちてきて漂うことも、どちらも「砂」で表すことができるから。
②進んでも進んでも前に踏み出せないまるで蟻地獄のような、そんな体力を持っていかれる現象こそが「生きる」ということだから。
③この演劇を基本的には「皮肉的な喜劇」だと感じたから。
です。
正解はもはや私たちにわかることはないと思うのですが、こうであれば面白いな〜と思います。
また、黒い傘を持つ人はその後も何度か登場しますが、これが「幽霊」なのか、はたして「深川の頭の中のノイズみたいなもの」なのかはわかりません。
度々出てきて彼を苦しめて、砂の中を掻き分けてレッドカーペットを出現させることもあります。
パンフレットでは「血」とも描かれていたそれに、最初は驚きましたが、彼が「本来歩むべき道から逃げる」や「隔たり」など、ただ赤くて砂がないだけなのに意味をいろいろ持つようで。
演劇って、セットではなくて人が場所を作るんだな〜ととてつもなく感じさせられた舞台でした。
彼の頭の中には触れてはいけない部分があって、それが「自分が戦友を見殺しにするという状況に陥った吉田」であること。
わたしが1回目に見た時には
記憶を取り戻す前の吉田が、
「自分は深川であり、幽霊は吉田であり、自分の見た目は深川(山口さん)だと思っており、幽霊の見た目も吉田(神山さん)」
と考えてしまっていました。
そうなると、幽霊とたびたび肩を組む吉田が幽霊のほうを見上げている場面の視線の動きの意味がわからなくなって。
自分のことを鏡で見たくないという吉田の思考は、「自分が吉田である」ということを自覚したくないってことだったんじゃないか?という考えが先行していたので、どうもそう考えてしまっていました。いや、正直2回目もそう思って見てしまいました。
諭され、鏡を見て「自分は吉田だ」と気づいたところを見ていたので、多分そう考えたんだと思います。
今回は母親と見に行ったのですが、終演後に話していたら「深川(本物)が『自分と僕を入れ替えてしまったんだな』って言ってた気がする」という言葉が出て、なんとなくわかった気がするんですが、今回の演劇の時系列としてはこうなのか?と推測します。
戦争中2人になって限界状態になる深川と吉田
→吉田は勝ったが、あまりの罪悪感に気が違ってしまって自分のことを深川であると錯覚して停止し、気絶
→深川は吉田を引きずりながら逃走
→捕虜に(吉田と深川が離れ離れに)
→吉田は自分のことを「深川」と名乗り、終戦後に吉田家へ。
→家族が病院(精神病院?)へ連れて行くが、深川と名乗っていたため、深川で通っていた?
→病院から逃走
→そして幕が上がり、「幽霊はここにいる」へ
ここはすごく曖昧なところで、私の持論もあるのでどうにも「うーん…」というところもあるのですが。
また、今では「吉田であり、深川は生きている」と告げられた後の吉田は、いままでのお人よしさは見せながらもすこし魂が抜けたようになっていて、「吉田は本当に自分が吉田だって気づいているのか?」とさえ疑っています。
そして、妙に明るい深川(偽物)も幽霊も、どちらも「吉田」自身なのかな、とも個人的には思っています。
「いい人」でいたい。
でも、機会があるのであればどう思われてもいいから「金も女も権力もなりふり構わず全てを手に入れたい」。
どちらも彼自身の意思なのかな、と感じました。
ずっと考えてしまったのは吉田のことばかりで、大庭の思惑には素直に「よくこんな悪徳ビジネス思いつくな」と思ったし、「幽霊なんていない」と思っているのに経済活動としてそれに乗じる市民や権力者も滑稽だけど人間らしくて意地汚いな〜と思ったし、基本的にこのお話のことはすごく楽しく見ることができたと思います。
でも、私にとって異質だったのは箱山です。
「安部公房のような俯瞰した視線」ともパンフレットで木村了さんが語っておられたように、彼は結末までをわかっているような、でも当事者のような、そんな視点で物語に入っています。
彼は「物語の最後を決めなければならない」と言ってミサコに少し執着心を見せるのですが、その興味関心が恋愛感情にも見えて、でもただただ狭い田舎に留まりたくないだけの男なのかわからなくなって、どうにももどかしかったです。
よくわからなくて、直感的でなくて、結局破滅しただろうなとなんとなくわかる市民や権力者や大庭一家とは違い、その後がどうなったかわからないキャラクターです。
一流で経験豊富な役者さんばかりが揃った舞台で、あれだけのエネルギーとボリュームで、年末年始にかけて走り抜けたこの演劇。
神山さんがこの役に向き合った事実が、とてつもなく嬉しいです。
そして、神山さんのおかげでこんな演劇に触れ合うことができたのも本当に嬉しいです。
また「盗聴」「ザ・ビューティフル・ゲーム」も含めて軽く秋冬のジャニーズWESTさんの演劇について感想を書ければいいな、と思っています。
その時はよろしくお願いします。
ジャニーズWESTさんたち、これからもいろんな作品に触れさせてくれ〜!
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ではまたいつか〜!