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うっかりジャニオタになってしまった2〜2.5次元のおたくが騒いでいる日記です

ジャニヲタ文化圏における「担当」について、私見

 

「担当」って、何を担当するんだ?

 

わたしは、アイドルにとって何なんだ?

 

そんな疑問が駆け巡る。

 

わたしに「担当」は重すぎる、そう考えたあの時。

 

 

そんな時について、個人的な意見だけを少し書いてみたい。

 

 

 

2020年の4月ごろ、私は藤原丈一郎さんやなにわ男子にどっぷりと嵌ってしまった。

 

ちょうどご時世的にも男性声優の現場に行けなくなってしまい、他に追いかけていたコンテンツもそこまで熱意を持って応援できなくなっていて、いろいろなものに手を出していた時期だった。

 

自我が芽生えてからの約15年間、アニメオタクとしての自分に一種の誇りのようなものを感じていた。

なんなら、「ジャニヲタ」と呼ばれる人たちに対して、どこかギラギラとしていて、アイドルに俗世的な愛情を向けていて、とにかく自分とは全く違う存在だと敬遠していたところさえある。

 

そんな私が、ジャニーズのアイドルに対して「今、一番好きなものだ」と言うようになるとは考えていなかった。

 

でも、好きになってしまった。

自分にとってはまさに青天の霹靂だった。

 

試しに、自分と同様のジャニーズファンのTwitterで、いわゆる「繋がりタグ」(同グループなどのファンとフォローし合うためのハッシュタグ)を見てみると、そこには「〇〇担」と書かれていることが多かった。

 

担当」。

 

そこでハッとした。

 

 

 

これまで、アニメやそれに伴う2.5次元ミュージカルに出演する俳優、また、男性声優のことを「推し」と呼称したことはある。

 

「推し」という呼び方は自由かつ、主体的だ

 

自分が「推し」ているから、「推し」。

自分が「他人に推薦したいほど愛している」(これを私は現代の「推す」の定義だと思っている)から、「推し」。

 

ただそれだけのこと。

 

「推し」と呼ぶことには責任を負わない。

わたしがわたしとして、どんな行いをしたとしても、推さなくなったとしても、一方的に彼を推しているだけの人間だから、勝手気ままである。

 

それが、「推し」だと感じる。

 

 

また、ある特定のキャラクターのことを「担当」と呼んだこともある。

 

アイドルマスター SideM」では、プレイヤー自身が架空のプロダクション、315プロダクションのプロデューサーとして職に従事するという設定で、自らが最もプロデュースしたい(つまりは成長させたい、彼らのシナリオを追いたい、さまざまなビジュアルを見たい)アイドルのことを、「担当アイドル」と呼ぶ習慣がある。

 

私は渡辺みのりというアイドルを担当する、いちプロデューサーとして、彼を追いかけたかったし、彼の考えを知りたかったし、彼のやりたいことをやってほしかったし、とても彼のことが好きだった。

 

次元は違えども、プロデューサーとアイドル、というひとつの主従のような関係性が決まっていたこの関係性は心地が良かった。

 

彼のことを、ただ個人の感じ方だけだけれど、「プロデューサー」として責任をもって追いかけていた。

 

胸を張って「彼が担当です」と言えた。

 

 

 

でも、ジャニーズのアイドルに対する「担当」って、何だ?

 

特に、アイドルとの面識はない。

これまでと同じ、一方的な感情と、一方的な視認性。

関係性も、不定型な「ファンとアイドル」、それだけ。

 

とくに私が好きになるのも、好きを辞めるのも、思想を語るのも、自由だ。

 

そう考えると、「担当」=今まで使ってきた「推し」であるとも考えられる。

 

でも、違う単語を使っている意味って、文化圏の違いだけなのか?という疑問を抱いてしまって、仕方がない。

 

とりあえず、趣味についての環境が変わったから私も「藤原担」と名乗ってみたけれど、不思議でしょうがなかった。

ただ好きなだけで彼になにもしてあげられない私には、「担当」が重くのしかかっていた。

 

特別な呼称だと、彼のなにを「担当」しているんだろうと脳裏に感じながら、この文化圏にのまれていって、「担当」と使うハードルはこの2年でどんどん低くなった。

 

 

今、もう一度考えてみる。

 

 

特に彼らに対してなにか責任を負っているわけではない。

アイドルとアイドルファン、一方的に与えられたものを咀嚼するだけ、雛鳥みたいなもの。

 

 

ではアイドルのなにを「担当」するのか。

 

今の私は、アイドルの、アイドルとしての人生を見守るという役割を担当するのではないか、と考えてみた。

 

「アイドルと担当」は双方向のコミュニケーションである。

輝くから見守ることができるし、見守る人がいるから輝く必要がある。

 

全てを追いかけることはしなくとも、「彼というアイドルが輝いていけるために」、自分の一部は「彼のファンとして」生きていると感じながらも生きることはできる。

 

だから、これからもその人生を見守りたいアイドルへ「担当」と名乗って、ただ自分だけに対して責任を持って、気軽に追いかけて生きたい。

 

 

 

 

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ではまたいつか〜!