こんにちは、しろです。
ジャニーズWESTと過ごす2021年の夏から秋にかけての日々、忙しかったですね。いや、私にとってのラッシュが終わっただけでまだぜんぜん終わってないのですが。
「でっかい愛/喜努愛楽」の発売、夏には濵田さんと重岡さんのドラマ主演、小瀧さん→桐山さん→藤井さん→神山さんとバトンを繋いでいくように舞台の主演(かみやまさん東京公演もがんばれ!) そして中間さんの連日のバラエティ番組ラッシュ、 リア突WESTの全国放送、などなど。
とにかく番組と舞台を追いかけるので必死になって、日々Twitter等ではいろいろな情報が飛び交っていたと思います。
わたしは今年、全ての舞台に1度ずつお邪魔させてもらいました。
その際すぐにふせったーに感想を残していたのですが、後々見返し辛いなと感じていたので、ここに少しまとめておこうと思います。
少し鮮度が落ちる内容ですので、詳細までは描けていないかと思いますが、よろしくお願いいたします。
ここから先は舞台の内容に触れた文章となっております。ご注意ください。
検察側の証人
兵庫公演、1階後方で拝見しました。
舞台全体を一目で見渡せる席だったので、法廷でのシーンはとにかく目が足りなかったです。
レナード(小瀧さん)は、証人たちの自分を犯人と決めつけたような言葉にいちいち憤って大声を出して立ち上がっていたり、「どうだ!」と言わんばかりにロバーツ弁護士の発言を誇ってふんぞりかえったり、とにかく素直に見えました。計算なんてなくて、自分の情だけで衝動的に動いている、そんなように見えました。
だからこそレナードはキャラクターの説明にも「純朴」などの言葉が並べられているのだ、と感じました。
少し前に座っているメイヒューさん(梶原善さん)はそんな身体がすぐに動いてしまうレナードのことを心配するようにキョロキョロ、後ろを向いて「まあまあ…」と抑えるような素振りで。
下手側に座るロバーツ卿(大滝寛さん)は理路整然と、時にはとてもイイ声で(声優さんのお仕事もされているそうで…!)弁護を続けていましたが、検察側から不利な証言が出るたびにメイヒューさんと打ち合わせをしたり、考える素振りをしたり。
検察側の証人たちはレナードが有利になるたびに「どういうことだ?」と言わんばかりの大きなリアクション。
上手にはマイアーズ検事(成河さん)は大袈裟かつレナードに同情してしまうほどの大きな態度、大きな身振り手振りで、しかし的確に証人と被告人に尋問を行なっていました。レナードが騒ぐたびに右眉をあげ、検察側が有利になれば誇らしげ、弁護側が有利になれば首を傾げて呆れ顔。とても優秀な検事なのでしょうが、人間的にはちょっと面倒くさそうでそこもとても面白かったです。
とにかく細かい演技が多く、一度では魅力の半分も受け取れていないんだろうなと感じる舞台でした。
私は昔、テニミュ(ミュージカルテニスの王子様)に通っていたのですが、試合中のプレイヤーの細かい演技、ベンチでは毎日変わる無言のやりとりが繰り広げられている。毎公演何か発見できる、そんな良さを思い出しました。
また、舞台経験に長けていらっしゃる俳優さんばかりの豪華な舞台だったので、余計に「受け取らねば…!」という気持ちが強かったと感じます。
また、奥さんであるローマイン(瀬名じゅんさん)の演技も素晴らしいものでした。
ローマインの冷酷で温度のないミステリアスさ、そして謎の女の激情的で変な温度感があるミステリアスさ、どちらの姿もあの短時間で、なおかつとびきりセクシーに演じ分けていらっしゃるところを見ることができてとても有意義でした。
私は原作を読んだ上でこの舞台に臨んだのですが、そんな私でも「レナードって向こうみずで貧乏で、でも人当たりが良すぎるが故に一定の層からは嫌われてしまう。そんなイケメンのお兄ちゃんなんだな」と思ってしまうような行動だけを小瀧さんはしていたように感じます。
だからこそ、無罪判決が出た時のレナードの不自然な満面の笑みを見た瞬間、「コイツ、悪い男だな」と思ってしまったのです。普通、無罪なのに裁判にかけられて、ようやくのことで無罪判決をもらえる、なんていうシチュエーションでは人間は「ホッとした顔」をするのではないか、なのに、レナードは「やっと掴み取れた」と言わんばかりの満面の笑みでした。こんな演技派の大悪人でも目的を成し遂げた時には気が抜けるのか、そんな妙な納得をしました。とても怖かったです。
納得できるお芝居をできる、そんな小瀧さんにお芝居をする人としての評価がぐぐぐーーーんと上がりました。「エレファント・マン」とはまた違った衝撃でした。
自分の罪を法廷外で認めたレナードが、新しい恋人であるストロベリーブロンドの若い娘(下記ツイートで設定を公開してくれています)と逢瀬する場面では、殺人をした人の少し仄暗い眼をしており、純朴とは程遠い甘い毒のような色気を感じる顔をされていて、それもまたすごくかっこよかったです。小瀧さん、どちらも似合う〜〜〜〜…。
「検察側の証人」大阪公演
— 大井川皐月 (@stk_o414) 2021年9月28日
本日無事大千穐楽を迎えることが出来ました。本当に毎公演が奇跡と幸せと感謝でいっぱいの舞台でした。
ご来場いただいた全てのお客様、関わってくださった全ての皆様、誠にありがとうございました。
最後なので自分の衣装付きの写真を🍓 pic.twitter.com/A6un1IWrTE
カーテンコールでは成河さんが長座体前屈をされていて(めちゃくちゃ柔らかかったです)、それを真似していたお茶目な小瀧さん(床に手がついていない)を見て、「小瀧さんだ〜〜〜!!」と温かい気持ちになりました。カンパニー全体、舞台上とは違って温かい雰囲気なのだなということが伝わってとても嬉しかったです。
赤シャツ
大阪公演、2階席で拝見しました。
はじめましてノ宮ピロティーホールです。
演劇の始まりが弦楽四重奏の劇伴からでとてもびっくりしました。生演奏、マジで最高。
チェロを弾いていたことがあるのでここですでにテンションがあがってしまいました。
わたしは夏目漱石の原作「坊っちゃん」だけ読んだ状態だったため、桐山さんが演じる赤シャツが想像できませんでした。なんとなくですが、原作を読んだだけでは赤シャツはイヤミったらしくて(桐山さんではない)、くねくねとしていて(桐山さんではない)、遠回しで難解な言い方ばかりして(桐山さんではない)、人への優しさが感じられない自分だけの人(桐山さんではない)な気がして。
でも、これだけは言えます。
桐山照史さんを赤シャツにキャスティングしてくれたスタッフさん、天才? スタッフさんの中にジャニーズWESTのオタクとかいましたか?
こんなことを言いたくなるほど、結果として桐山さんにピッタリの役だった、と断言できます。
ピンと立てた小指、高くて抑揚がついた喋り方、八方美人で強がっている目線、人目がないときの情けなくてかわいい表情、うしさんへの甘え方、繊細な感受性によってすぐに痛むお腹、桐山さんがすこしだけ透けて見えるツッコミ方。
ある意味赤シャツ自身が作り上げたともいえる、デフォルメ化された素晴らしい「赤シャツ」を表現した桐山さんと、テンポ感を大切にした喜劇を演じたカンパニーのみなさんに感謝します。
「坊っちゃん」では赤シャツについて、田舎ならではの噂話も相まって、とてもイヤなやつだな(かと言って坊っちゃんや山嵐にも好意的な印象は持たなかった派なのですが…)という印象がずっと付き纏ったのですが、この舞台ではその「噂話」も尾鰭がついているものであったなら、赤シャツにも本音と建前があったなら、というある種パラレルワールドのようになっていて、より「坊っちゃん」を楽しめるような構図になっていたと感じます。
また、赤シャツと坊っちゃんに共通点が多いからこそ正反対さがかえって際立つという構造もあった気がします。
気づいたところで言えば、
・弟と不仲なまま、弟にある程度のお金を持たせて家族の縁自体は断絶することになるという点では坊っちゃん家と同じような兄弟関係
・うらなりと山嵐への信頼が厚い点
・イナゴとバッタは同じようなものだ、と言っている点(都会で育ったからかも)
・よくしてくれる下女の存在(「うし」と「清」)
・「子どもの頃から(この部分は間違ってるかも)八方美人で小さい頃から苦労してきた」赤シャツ(⇔坊っちゃん冒頭「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」)
無鉄砲で損ばかりしてきた坊っちゃんは結局損はしたけど山嵐という盟友(?)と誇りを保ったまま、清と生きるという選択肢が生まれていましたが、八方美人で苦労ばかりしてきた赤シャツには学校の名誉と小鈴しか残らなかったのだと感じました。
繊細で人の心を感じ取ることができるからこそ人の心に踏み込めない弱さもあるし、人に気づかれないように動こうとするし、弱いからこそ八方美人で自分を強く見せてしまってときどき人を突き放してしまう。そんな反する感情を持つ赤シャツに、とても共感と同情をすることができ、2幕後半は常に心がギュッとなっていました。突き放されても諦めずに寄り添おうとしてくれる小鈴がいてよかったです。
カーテンコール、さいごに「んふっ」と赤シャツのように笑って障子の間からにっこりしたお顔とお手振りを見せてくれた 桐山照史さんに、わたしは違う意味でも心臓を掴まれているな、ととても思い知らされました。桐山照史さん、本当にこわい人。
ハロルドとモード
大阪公演、2階席で拝見しました。
二度目ましてノ宮ピロティーホールでした。
双眼鏡を忘れたうえに目眩があった日だったので(自分のせいです)ひとつひとつの細かい挙動までは見れていないのですが、今回のお芝居は「朗読劇」というよりも「基本的に座って演技するストレートプレイ」のような印象を受けました。それほど表情や動きに繊細に気を配られた演劇だったと感じています。
あとすごく短絡的ですが、全員の声がはっきりと聴こえてすごく聴き心地がよくて、そしてピアノの入りもとても自然で、とにかく「聴覚だけでも十分楽しめる演劇」になっていたと思います。
28歳の藤井さん演じる19歳のハロルドは、とても純粋で可愛らしさが際立っていたと感じます。とても19歳だった。 目線も声色もすべてどこか不安げで人を信用していなくて、でも人が嫌いなわけではなくて、そんなかわいくてかわいそうな男の子になっていました。
そんな彼が、モードというチャーミングでミステリアスでパワフルな79歳の女性に出会い、この世界と生きるということの美しさと希望と儚さを知る、そんな物語です。
ハロルドは狂言自殺と知らない他人の葬式に出ること、機械いじり、実験が趣味。
彼は「死ぬ」という「必ず自分のことをだれかが想ってくれる行為」にすがりたくなるほど母親からも誰からも興味を抱かれておらず、その虚無感や寂しさから狂言自殺を繰り返していたのか。それともモノや人の命がなくなるということの儚さと美しさと愛に魅せられていたのか。
だからこそモードに出会って「生きる」という美しさに初めて魅せられたということなのかもしれません。一介のオタクには正解はわからないのですが。
ハロルドは3人の恋人候補(すべて森川葵さんなのに全員違うタイプのチャーミングな女の子だった!)に自殺する姿を見せるのですが、そのどれもが美しかったです。特に最後のハラキリ姿は、落ちたジャケット、レースを施されたシャツ、テーブルに上がる姿まですべて。
また、モードとハロルドが合奏する場面もとてつもなく幸せでした。不安げにギターをぽろん、ぽろん、と弾くハロルドに反して、自信満々に楽しむモード。彼女たちのいる空間だけ温かく照らされているようでした。
美しいといえば、モードの誕生日にサプライズで用意した向日葵。あまりにも無邪気で純粋にモードに見せた美しい景色に、涙してしまいました。ふたりの恋愛のようでした。だからこそ、その時すでに死ぬことを決めていたモードの気持ちを考えると想像を絶します。
モードを演じていた黒柳徹子さんもすごかった。まさにモードのまんま、チャーミングでキュートでパワフルでおちゃめ。こんな人になりたい、と思いました。
モードの最初の「ねえ」という一言からその空間がピタッと変わって、徹子さんの世界観に引き込まれたと感じます。それほどオーラというか、引き込む能力に長けているレジェンドなんだ、ということを思い知らされました。
モードにはいろいろな過去があって、それでも79年間まるまる生きてきているという描写が何度もありました。モードの手になにか番号のようなものが彫られている、という表現もあります。
これはアウシュヴィッツに収容されていたという証? 社会運動者として逮捕されたとか? とは考えたのですが、ホロコーストやナチスについての詳細を学んでこなかった弊害が出てしまい、自分の学のなさに落ち込んでいます。もっと勉強したらもっと面白い演劇だったのに…!
そんなモードは最初から「ちょうどいい」ところで死のうとしていました。それが80歳の誕生日でした。そんなところにハロルドが現れて、恋人として最後の時間を美しくてとってもときめいたものにしてくれた。
モードにとっては大きいけど小さい、そのくらいの感情だったのでしょうか。とにかく彼女が壮絶な経験をしてきた強い人で。なかなか理解まで及びませんでした。
カーテンコールではハロルド(藤井さん)とモード(黒柳さん)が手を繋いでブンブン振り回していたのがとてもかわいかったです。ハロルドとモード、現世ではないどこかで幸せであってほしい。
LUNGS
この記事でちょっとした感想(と自分語り)を書いていますが、他にも印象に残ったところを。
「青木さん家の奥さん」以来のサンケイホールブリーゼ。母の神山担名義(母はいわゆる少しだけ緑濃いめの虹色です)に助けられて、ちょうど真ん中で小さい円形の舞台を一望できるけど、そこそこ近い。そんな席で拝見しました。超見やすかった。サンキューホールブリーゼ。
月のような円形で回転する舞台に、そびたつ壁のようにも、奥に続く道のように見えるセット。真ん中には優しくも痛いほど眩しくも光る月光が差し込む。不思議な舞台でした。
この舞台機構は「月」をモチーフにしているように私には見えたのですが、それは女性の身体やメンタルは「月」の満ち欠けにも影響されて日々変化することが多いこと、そして何より女性の象徴でもある、というところから発展しているのかな、と考えました。
お二人とも登壇されて客席に軽く手を振ってくれて、身体をほぐすところから始まって。
とにかく前記事でも書いたのですが、スピードが速い。どこかで引っかかって置いていかれたらそのままついていけなくなるんじゃ、と思うような速さでした。
なかなか日常で考えるのを避けるような話題が怒涛と襲ってくる舞台なので、実際少し乗り遅れた場面が少しずつあったように感じます。もう5回くらい見たかった。
神山さん演じるインディーズミュージシャンのMが等身大で(時には無理して)Wと愛し合っているさまを見ていて、刺激的ーーー!!!と感じていました。
Wを座って抱きしめながら身体を預けたり朝起きてきたWをぎゅっと抱きしめたり膝枕しているWに顔を擦り寄せるなど、些細な恋人同士のスキンシップの際のMのなんと甘やかなこと、そして半ば理性を飛ばしてWを求めるMの視線のなんと鋭いことか。
具体的にグッときたところは、Mが優生思想についての考えを捲し立てているとき(だと思うのですが)、
・WがMのパーカーのフードを何度もかぶせる
→Mはイラッとしつつも脱ぐ
→それを繰り返す
→何度目かにWも自分のシャツをかぶってからMのフードもかぶせる
→フードを脱いだMにWが後ろから「ばあ!」と脅かす
→Mが「ふふふっ」とわらってWの頭にかぶせられたシャツを脱がせてあげる
という一連がとても普遍的かつ幸せかつかわいいワンシーンでした。Mの笑い方もまさに神山さんから出た笑いなような気がして。これは日替わりだったのでしょうか。
リアコ感情を抱くタイプではなく、さまざまな表情を見たいと思うタイプのオタクなのですがそれでも「こんな表情でこんなこと言ってる神山さんを見ちゃっていいんですか?」と思うほどの強烈なものでした。ところでリアコのオタクは大丈夫でしたか。
カーテンコールでスタンディングオベーションになった時の神山さんの「え!」という驚きの表情からのにっこりとしたねこちゃん笑顔、そして2階席から1階席へ順番にお手振りをしていくところが律儀で、とても好きだなあと思いました。奥村さんもにこにことされていて幸せなひとときでした。
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