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うっかりジャニオタになってしまった2〜2.5次元のおたくが騒いでいる日記です

7年前の7人へ。 10000字インタビュージャニーズWEST編を読んで

 

どうも、しろです。

 

あけましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願いいたします。

 

まず前置きとして!

 

インタビューや映像での発言や文言以外は私の解釈が入ったものとお考えください。

読んでくださる皆様と違う考えもあると思います。

ですが、私のひとつの感じ方であると理解していただけますと幸いです。

 

2021年、CDデビュー7周年を迎えるジャニーズWEST

この「7人」でまるまる6年やってくれたことに感謝しつつ、わたしが触れた断片的なインタビュー、映像等で、好きになってから4ヶ月のわたしが、デビューすぐの発行物に触れて今感じていることを残したいなと思って筆をとりました。

 

これは違うよ!とか事実じゃないよ!とかがございましたら、文末にあるマシュマロでご指摘いただけますと大変ありがたいです。

 

 

 

まずデビュー付近の時系列から。

 

簡単にまとめていくと、

 

2013年5月

ジャニーさんの家に泊まる中間さん、濵田さん、桐山さんがデビューの直談判。レコード会社へ働きかけてくれることに。

2013年9月

7人でデビューする、と事務所から告げられる

2013年12月

関西Jr.として出演する予定だったカウントダウンコンサートの出演がなくなる

4人(中間さん、桐山さん、重岡さん、小瀧さん)に「やっぱり出演する。舞台の打ち合わせもするので東京に来るように」との連絡

4人でデビューすることになったと知らされる

2013年12月31日

コンサート本番前、中間さんから濵田さん、藤井さん、神山さんにメールで4人でのデビューが決まったことを伝える

カウントダウンコンサートで「ジャニーズWEST4」としてデビュー発表

2014年1月

関西ジャニーズJr.あけおめコンサート2014(7人が出演)

2014年2月5日

「なにわ侍 ハローTOKYO!」初日に7人でCDデビューすることを発表。それに伴いグループ名も「ジャニーズWEST」に

2014年4月23日

ジャニーズWEST、「ええじゃないか」でCDデビュー

 

という流れの中で思ったことを。

 

 

24年間ずっとジャニーズのアイドルを本気で応援することがなかった私は、デビューはジャニーさんの独断で、フィーリングで決まると思っていました。(中間さんのインタビューを見ていると「デビューを決めるのは僕だからね」という文言が出てくるため、その面も大きいのだと思うのですが。)

実際突然Jrとしての歴が短いアイドルたちだけで組んだグループもあるのでしょうし、友人が推していたKis-My-Ft2のように実力と人気を付けていって単独ライブでの突然デビューすることになったグループもあるのでしょう。

でも、こんなに自分たちから「デビューしたい!」「デビューさせて!」とジャニーさんや対外メディアに直接働きかけている人たちがいるなんて思ってもなかったんです。

 

2013年5月の直談判について、桐山さんと濵田さんは

「"ここで言ってムリなら、もうデビューはないで"って。気持ちを伝えてもムリやったら、やめようって考えてたんで。」

「いっしょにやってきたコたちがやめんなら、僕もやめようって思ってましたね」

と語っています。

 

ジャニーさんってこんなアイドルにたくさん出会ってきたのかな。

冗談じゃなくて、崖っぷちでどうしようもなくて最後に泥臭く本気で「デビューさせて」ってお願いするアイドルに。

そうだとしたら、その中でも取捨選択をしてきたはずですし、ジャニーさんに「ここでこの人たちを辞めさせてはいけないな」と考えさせることが出来たのであれば、3人の作戦は成功なんだと思います。

そこからどんな話の転換があったとしても。

 

この泥臭さについて、濵田さんはキスマイデビュー以降、

「願うことは口に出して言おう。それがかなうための努力は惜しまないようにしようって決めた。」「カッコ悪くたっていい、思いを口にすることで、本気度を周囲に伝えようって」

とおっしゃっていました。

スタッフ数も場数も違って、チャンスも回ってきづらい彼らの秘策で、最後の手段だったのかな、なんて考えると芯が強い彼らに尊敬の念しか覚えません。

有言実行できる人はカッコいいし、多少泥臭いほうが個人的に好きなのですが、こんなこと言わなくてもデビューできる人との違いって何なんだろう、ここまで引っ張って引っ張って張り詰めて崖の縁まで立たせて関西ジャニーズJrをどうしたかったんだろう、なんてジャニーさんの考えを慮りました。

デビューまでのベストのタイミング、そんなに遠かったのかな。

 

そして2013年9月。

中間さんはインタビュー内で「みんなボカしてるけど」と前置きを置いて『ANOTHER』中に7人でのデビューが決まっていて、デビュー曲の話し合いも、グループ名も決めようとしていた。と語っています。(この頃の中間さん、もしかして「グレて」金髪にしていた時代でしょうか?)

小瀧さんも同じようなお話のなかで、「ついにきたか!」と。

この話が表に出ているということはそうなのですが、あまりにも「どういうこと?」「ほんまの話なん?」すぎません?

メンバーが増えるならまだしも、ここから減るなんて思わないじゃないですか〜!

でも、実際にこの話は進展せず、立ち消えたようです。

ちゃんと決裁とりなさ〜い!!!上司はオッケーだしたなら責任持ちなさ〜い!!!

ちゃんと決まってないなら当事者に知らせるな〜!!

と当時の事務所の人への懐疑心が。(いろいろあるのはなんとなくわかるけど!!わかりますよ!!)

 

 

12月、4人だけ東京の事務所に呼ばれ、誰も何も説明してくれないまま、舞台の打ち合わせ。

「”なんで4人だけなんですか?“って聞いたら、”4人でデビューすることになった“って言われて。」


「4人の方が売り方的に有利だから」という理由で4人でのデビューに向けて進むことになったらしいのですが、もうここも「は〜〜?」ポイントというか、なんで7人での話進んでたのに方向転換したよって事前に説明ないの?といったところで。

もしかして他のグループとかもこんなこと乗り越えてるんですか?

こんなにアイドルに不親切なものなんですか?ふつうに会社とかで企画を進めていくときも方向転換したらまず先に関係者に経緯の説明するものだと思うのですが…とまた思っちゃう(ごにょごにょ)

 

「みんな7人がいいに決まってるけど、状況がわからない。頑なに”7人がいい“って言い張ったら、デビュー自体がなくなる可能性がある」

「デビューがなくなる最悪の事態は避けたくて、うかつなことは言えない。事務所の話をまず聞こうと思って」

中間さんはある程度慎重に、「デビュー」を考えていた一人なのかな、と思います。

グループとしてというより、デビューという一歩を踏み出すことを大切にしているひとりだったんですよね。

それはずっと応援してくれていたファンへの想いもあったから生まれた感情で、そりゃあそうだ!!!と思います。産まれたチャンスを手放すリスクは負いたくないですよね。

でも、そのチャンスは7人じゃなくて4人でのデビューだった。3人追加するとしても、今までと違って、もしかしたら後ろにつけることになるかもしれない。

そうなったら、今までの関係じゃなくなるように思えますよね。ここまで横並びだったのに。

 

「(4+3は)ホンマにイヤやったんです。」

「それじゃあ売れる気もしないし。」

「無理矢理くっつけて、3人の人生を弄ぶようなことになるかもしれない」

3人のことを考えて、だからこそ7でいくべきなのか?4のほうがいいんじゃないのか?と考えたと語っていたのはB.A.D.のふたり。

ずっと関ジュの先頭を走って、ずっといっしょにやってきた仲間が突然自分の道を決めてアイドルを辞めるという場面に向き合った数もとてつもなく多かったと思います。(もちろん重岡さん、小瀧さんもたくさん経験しているとは思うのですが)

だからこそ、本人たちの気持ちがわからない段階で勝手に人生を決めることができなかったのだと思います。

「(差がつくのであれば)4がいいって」

「”7人でがんばってみたいです“(とジャニーさんに留守電を残した)」

自分が主張すればその方向に事務所が動くかも知れないこの状況で、B.A.D.のおふたりの意見は根本は同じでも、行き着く先は違っていたようです。

もちろんおふたりとも4+3の形は嫌だけど、「それは絶対に嫌」な中間さん、「それでも7人でいたい」桐山さん。

個人的にはデビューできさえすれば!と思ったりするのですが、一度付いたイメージがなかなか消えることはない、というのもわかってたんですよね。

あ〜〜〜もどかしい!!もうジャニーズJr.全員デビューさせよう!!()

 

そんな中、みんなから「一貫して7人を諦めなかった」といろんな方から言われている重岡さん。

「(重岡さんは)”7人がいいです“って言い続けてて。」

「”もともと僕たちは7人やから、絶対7人でいこう“(と重岡さんが)」

「しげが振り付け師に”7人がいいです“ってひとりで言いに行ったんです」

小瀧さんが語る通り、とにかく“7人”でデビューできるように、とにかくその一心で行動していたようで。

でも、その本心は、ただ熱いってだけじゃなく。

「3人が絶対に必要だから。」

「そんな気持ちだけでどうこうできる環境じゃないんで。」

「(ジャニーズWEST4について)まだ足りないって思ってて。」

「7人じゃなきゃダメだって」

「グループとして売れたかったんです。国民的グループになりたいんです。それは半端な想いじゃないんで。そのためには、絶対に3人が必要なんです。だから情やないんですよ、全然。」

「絶対7人であることはブレたくなくて」

「なにわ侍」の記者会見でも「なかよしこよしだけじゃない」と語った重岡さんは、俯瞰して4人のことを見て、3人がいないとグループとしてダメだと感じていた、という旨を語っています。

周囲からの言葉、環境の変化があったとしてもこの意見を一貫させる意志の強さに感嘆するとともに、重岡さんってずっと重岡さんなんだな、ずっと熱い人なんだな、と感じました。

いつの時点かはわからなかったのですが、濵田さんががんばってくれている重岡さんに対して「7人でデビューするのは無理そうだね」と話したときも、

「”ちょっと待ってください。100%入れないとは思わなくていいと思います。今はまだ、それくらいしか言えないですけど“」

ということを伝えて、濵田さんの気持ちを切れさせなかったのもまた熱くてカッコいい。

 

結局。

「グループ内でも意見がまとまんなかったんです。でも、デビューの話をなくさないためには、カウントダウンで発表するしかないよってなって」

「もう迷っちゃダメだって自分に言い聞かせて、“後ろ振り返らんとこ”って言ったんです」

「このままずっと人数に関して引っかかってしまうんであれば、この4人にも未来はない」

デビューという灯火を消さないために、カウントダウンコンサートに4人で出演することになります。

3人のことを考えたからこそ動けなくなったのがわかってとても苦しいです。

 

 

そして2013年年末。ジャニーズカウントダウンコンサート。

呼ばれなかった3人も、3人を置いてデビュー発表をした4人もとてつもなく辛いじゃないですか〜!想像するだけでほんとにやだ〜!!

その頃からのファンのみなさまも、なぜ4人だけ?と思いましたよね。推してるJr.がそうなったらと考えるだけでおかしくなりそうです。

 

10000字インタビューを拝見している限りでも、辛さは伺えます。

藤井さん、濵田さん、神山さん、それぞれに「なぜ?」という感情、これからどうする?と急に選択させられる感覚。

でもそれでもすぐに動いた人が、藤井さんでした。

わたしは正直言って意外でした。いつも飄々としていて穏やかなイメージがあったので。

でも、藤井さんって思ったよりもお喋りだし、挑戦する度胸があるし、いろいろなことを考えてバランス良くなるように行動されるし、実はめちゃくちゃ頭いい人なんですよね。

「あきらめないつもりでしたし、入るための努力はするつもりでした」

「(ジャニーさんにとりあえず電話したことを報告したら、中山優馬さんは)”絶対いける!100パーいける!“」

「(濵田さん、神山さんに)”いけるかわかんないけど、入る努力はしようぜ。見てるだけじゃ意味ないから“」

「(ジャニーさんに)俺は”入りたいよ“ってことを伝えて」

と仰っている通り、先んじていろいろな方向に主張したことにとても意義があると思いますし、ジャニーズWESTのデビューに中山優馬さんのバックアップも力添えしてくださったのかと思うと、オール関西なかんじがしますよね。めっちゃかっこいい。

見てるだけじゃその人がどう思っててどういう状況なのかわからないので、やっぱり藤井さんがおっしゃることは正しいですし、それをおふたりに伝える藤井さんは本気で絶対に"7人"でデビューしたかったんだな、と改めて思いました。

 

その後、1/4〜1/5にかけて大阪城ホールで行われるあけおめコンサートのためのリハーサルで、7人は顔を合わせることに。

 

「俺らより、3人のほうがぜったいきつい。」

と語った桐山さん。

明暗が突然分かれてしまった4人と3人にとって、いつも通りのMCやパフォーマンスをすることはとても難しいものだったと思います。

だってお互いなんだか後ろめたいじゃないですか。もうほんとに読んでるこちらもつらい。(なんで?)

この気まずさに耐えきれず、中間さんに働きかけたのは濵田さん。

「”いつも通りしゃべってもらっていい? 気をつかわれるのイヤや"」

「今までみんなで少しずつ築き上げてきたものが、全部壊れちゃいそうで」

「(濵田さんから)”俺は、みんなとおるのが楽しい。今まで通りの関係でみんなとおれるなら、俺はそれだけでええ。正直、デビューとかどうでもええ“」

「俺も7人でいっしょにいたいんやって。濱ちゃんのひと言で本当の気持ちに気づけて。」

「誰かの涙や犠牲でできたデビューなんて意味がないから」

少しずつ年月をかけて関ジュとしての絆を築いてきて、いっしょにやってきた仲間がやめるのならやめる、と言う濵田さんだからこそ伝えられた本音だと思います。

またそれを自分より1つ年上の中間さんにお願いしていて、なんだかんだお兄ちゃんと思ってるのかな?なんて感じたりしました。(はまじゅん…)

そんな濵田さんの優しいお願いで決心した中間さんのこの発言は、中間さんらしいなととても思います。

とてつもなく正々堂々とした真っ直ぐな人ですよね。

 

こんな中で突然状況は変わることもなく、開催されるあけおめコン。

カウントダウンコンサートでデビュー発表された事実を知っているファンにとって、どうすればいいかわからないコンサートだったと思います。

有志の方のブログをいくつか拝見いたしましたが、みなさん「元気がなかった」「気を遣っていた」などの感想を書かれていました。

そりゃそうやろ!!

もうほんとにその心情を想像するだけで心臓が痛く…。

「今までのコンサートのなかで、いちばん楽しくなかったです」

「今まで1回もそんなことなかったのに。言葉が出ないんです。」

「僕より流星のほうが全然強くて、メールをもらったんです。”気にしなくていいから“って」

最年少の小瀧さんは正直にこう話しています。

そりゃそうやろ!!(2回目)

今やテロップマシーン、Jr時代から2.5枚目と呼ばれた小瀧さんでも「言葉が出ない」ほど4人と3人になってしまったことはダメージが大きいことで、こうなってしまった状況についてわたしはめちゃくちゃにムカついています。今ムカついても仕方なさすぎ!

濵田さんはそのときのファンの悲しげな顔や涙を見て、

「“俺はまだ自分を信じてるよ"」

と伝えようと、歌っていたと語っています。

濵田さん〜〜〜!!!!!そんな優しいあなたが本当に大好きだ〜〜!!

 

でも、このコンサートの後、希望を感じたメンバーもいたようで。

「絶対7人だったら成功するって思えて。」

"7人"でデビューしたいという気持ちが「成功する」という確信に変わった桐山さんは、7人でデビューしたあとの「形」について考えていたのでは。

桐山さんは本当にいろいろなところに考えを巡らせて、気を遣って、情に厚くて涙脆くて。本当にあたたかいけど繊細な人だなと思います。

3人が望まない形であれば、強要はできないですもんね。

 

一方、神山さんは自分のやってきたことに自信と誇りがあって、それだけの努力をされている、重岡さんとある意味似ているようで違う熱い人。

だからこそ、いっしょにやってきたメンバーと突然何の理由もなく差をつけられるのが嫌だし、それをファンに見せたくなかったのかな、と思います。

「(4+3のような形)〜は一切ゴメンやったんですよ。」

「今まで7人で一列でやってたのに、それが二列になるんなんてゴメンやって」

「(桐山さんから)”4+3って形になるってどう思う?“って。俺、”絶対イヤ!“って言ったんです」

そんな熱い神山さんですが、その熱さといっしょに大きな優しさでメンバーを包んでいると感じています。

ジャックナイフ時代(?)を知らないので言えることなのかもしれないですが。

この発言の後、スタッフさんに桐山さんの立場も考えてあげて、と注意されたという神山さんは、

「照史くんだって、4+3って形を望んでるわけじゃない。7人でデビューできるための道を苦しみながら探してくれてたんだって。」

「デビュー発表のとき、いちばんつらかったんは、(中略)4人やったって。」

「(カウコンでの4人が)”全然、笑えてへんやん“って。それに気づけた瞬間、選択肢は”7人“でしか俺の中でなくなったんです」

「そのあと3人で話し合って。4人はもしかしたらデビュー自体がなくなってしまうかもしれないのに覚悟を決めてる。俺たち3人も覚悟を決めようって。」

と、自分のプライドを一旦捨ててでも、7人でいる選択をします。

どうしても頑なになってしまうような状況なのに、こうやって考えられるのってすごいなと思います。

自分なら一晩寝て、冷静になれるのかな。

ぜんぜん自信がないし、やっぱりこの選択をしてくれた神山さんに感謝でしかないです。

 

そんな3人の決意を知ったらもうここからは押せ押せ。

「(4+3になるとしても)全員”それでもいい“って。」

「(ジャニーさんに)初めて自分の口から”7人でいきたい“って直接伝えたんです。そしたら、”自分たちで決めたんだから、責任を持って、ちゃんとやるんだよ“って言われたんです」

「7人でやる」というのは、7人それぞれが決意して決めたこと。

別に4人でデビューして失敗して、本当に大人たちが責任を取ってくれたのか?なんて思ったりもするのですが、このジャニーさんの言葉が今までの、そしてこれからの7人の原動力のひとつとなっているのだろうな、と思います。

 

そして、7人でCDデビューすることがまた決まり、「なにわ侍」の稽古が始まります。

「リハに呼ばれて。なんで呼ばれたんやろうって思って、いざ行ってみたら、7人で曲のリハーサルが始まって。」

だから!!!!情報共有!!!して!!!!

それかまだ不確定情報だったんですかね。ですが、この稽古で3人は「いける」「7人でデビューできそう」と確信しました。

わたしがメンバーのみなさんでも確実に期待するし、このシナリオでデビューじゃなかったら神経を疑いますね。

 

そして2月5日、「なにわ侍」初日。

2幕冒頭で「7人でCDデビューが決定した」というナレーションに湧く会場。

この公演、めちゃくちゃ入ってファンのみなさんと感動を分かち合いたいけど、この時期の先が見えない感じ、まったくもって味わいたくないです。

挨拶や記者会見、インタビューでも「ファンのみんなを泣かせてしまった」「いろんなひとにつらい思いをさせてしまった」としきりに申し訳なさをにじませるメンバーに胸が痛くなりました。

ですが、やっと7人でデビューすることができるっていうことを報告できた7人はそれはそれはもう晴れやかな気持ちだったのだろうと予想できます。

やっと、メンバーもファンも雲が晴れたようになれた瞬間を映像で見れて、歴史が変わるところを見れて、新規ファンとしては「ありがとうございます」でしかないです。

 

 

このときを振り返って、みなさんが語ってらっしゃったことで印象に残った言葉は

「3人があきらめないでいてくれたから、7人になれたんだと思ってます」

「美談にはしたくなくて。情じゃないですもん。そんなん3人に失礼やから。」

「(7人のデビューにこだわった理由について)”しっくりくるから“ってのがいちばんしっくりくる」

です。

しみじみ思うんですが、この7人、ほんとにしっくりくるんですよね〜〜!

 

 

 

好きになって4ヶ月のドドドド新規ジャニーズWESTファンとして、ジャニーズWESTは非常にバランスのいいグループだと考えています。

メンバーにいろいろな得意なことがあって、みんな気性は穏やかだけどうるさくて、ボケたがりばっかりのところにツッコミたがり(?)が

いて、声もビジュアルのバランスもいい。

それを作り上げたのは、メンバー7人それぞれの想いと、決意と覚悟(いっしょですかね)と、ファンへの感謝と周りのスタッフさんの愛です。

事務所のスタッフさんたちだけではこの虹みたいにひとつだけどいろいろな魅力があるグループは作れなかったと思います。

 

このグループを作り上げるにあたって、非常に多くの(ふつうでは味わうことのない)困難があったと思うのですが、それを乗り越えてくれた7年前の7人、今現在2021年を迎えてCDデビュー7年目に突入しようとしてくださっている7人、番組や事務所、レーベル、企画会社などの全てのスタッフさん、Jr時代やデビューから今まで支えてくださったファンのみなさん、現在のファンのみなさんに本当に感謝しています。

 

わたしが辛い時に出会うべくして出会ってくれてありがとうございます。

 

 

2021年も、ずっとずっとその先も、笑顔で7人でいるところを見せてくれますように。

 

 

 

 

 

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では、また次の機会に〜!

 

 

(参考)

Myojo 2014年10月号、11月号、12月号、2015年1月号、2月号、3月号、4月号「10000万字ロングインタビュー ジャニーズWEST編」

「ええじゃないか」なにわ侍盤

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